お月見泥棒の起源、由来、歴史、やり方と行われている地域
お月見泥棒(お月見どろぼう)という言葉は、知っている人と知らない人にハッキリと別れますね。
お月見どろぼうの起源と由来を知っている人は、子供のころにお月見どろぼうの経験があるのではないでしょうか。
お月見どろぼうの歴史を知っていれば、子供に聞かれたときに答えられますね。
お月見どろぼうの風習が残っている地域には、愛知県や三重県などがあるようです。
千葉県の一部や豊田市などでもお月見どろぼうの風習があるようです。
次に、お月見どろぼうのこと・お月見どろぼうの起源と由来・お月見どろぼうの歴史・お月見どろぼうと豊田市、などの紹介をします。
お月見どろぼう
お月見泥棒・お月見どろぼうは、十五夜に行われている子供たちのお月見イベントのひとつになります。
主に旧暦8月15日にあたる中秋の名月(十五夜)に行われていた風習です。
飾られているお月見のお供え物を、中秋の名月である「十五夜」に限って盗んでいいとされています。
子供たちは、竿のような長い棒の先に釘や針金をつけてお団子などを盗んだとされています。
昔は、子供たちは月からの使者と考えられていました。
中秋の名月である十五夜に限り盗むことが許されていました。
お供えする側(お供えを盗まれる側)も、縁側の盗みやすい位置にお供えするなど工夫していたとされています。
「どろぼう」とか「盗む」とか物騒な言葉が使われていますね。
現在では、それが転じて中秋の名月(十五夜)に子どもたちがお菓子をもらう風習となって続いています。
昔は、こっそりとお供え物を盗んでいましたが、現在では「お月見くださ?い」や、「お月見泥棒でーす」などと声をかけてお菓子を貰います。
現在では、各家を回りお菓子をもらう風習にかわっているようです。
日本各地に残っているとされるお月見どろぼうですが、派生や伝播には地域的な特徴があります。
名古屋市緑区では地域の一部の徳重の付近だけに伝承されています。
お月見どろぼうの風習が残っている地域に違いがある理由は明確には分かっていません。
地域の人々の伝統に対する考え方等が影響しているものと考えられているようです。
次に、お月見どろぼうの起源と由来・お月見どろぼうの歴史・お月見どろぼうが残っている地域(豊田市など)の紹介をします。
お月見どろぼうの起源・由来・歴史
お月見どろぼうの起源や由来、お月見どろぼうの歴史などの紹介をします。
昔は、十五夜に限って飾られているお月見のお供え物を盗んでいいとされていた風習ですが、現在は和製ハロウィンのようになっています。
お菓子をもらうために、「お月見くださ?い」と直接家を訪ねたりしています。
「お月見泥棒でーす」と訪ねて、玄関先などに置かれた駄菓子をみんなで分け合うというのがお月見どろぼうのイベントになっています。
お月見どろぼうの起源は秋の収穫のお祝いだと考えられています。
由来は、秋の収穫を祝ったり願ったりする行事だったという説が有力です。
昔は、日本各地でお月見どろぼうの風習が行われていたようです。
現在、お月見どろぼうの風習が残っているのは、福島県・茨城県・千葉県・愛知県・三重県などのようです。
次に、お月見どろぼうが残っている地域(豊田市など)の紹介をします。
豊田市のお月見のやり方
現在では、お月見どろぼうの風習が残っている地域は少なくなっています。
福島県・茨城県・千葉県・愛知県・三重県などです。
愛知県の豊田市や日進市には、お月見どろぼうの風習が根強く残っています。
大人から子どもまで参加できる楽しい行事として地域で受け継がれています。
豊田市のお月見どろぼうのやり方も、和製ハロウィン風になっています。
子供たちは、「お月見ください」・「お月見泥棒がきました」と各家庭を訪ねます。
お月見どろぼうの子供たちを迎える家では、箱の中にどっさりとお菓子を入れて自宅の前に置いておきます。
毎年15時くらいから、地域の暗黙の了解として家の前にお菓子が出始めます。
お菓子がでるのに合わせて、子供達がイキイキと走り回りはじめるようです。
その時の子供表情が忘れられなくて、毎年お月見どろぼうの風習に参加している家もあるようです。